
一宮への移住は泣くほど嫌だった
岡田美保さんが一宮にやってきたのは、1992年のこと。この町で約60年続く岡田眼科医院を継ぐために、引っ越すことになった。福岡県で生まれ、神奈川で過ごしてきたこともあり、田舎町への移住については「泣くほど嫌だった」と話す。
「今でこそ都心へのアクセスも良くなり、発展もしてきましたが、30年前にこの町へ来ることは、まるで"最果て"に行く思いでした。でも、住んでいるうちに自然の良さを感じられるようになったり、後にゴルフを始めたこともあってゴルフ場に行きやすくなったりして、気が付いたらこの町が大好きになっていました」
この町で暮らす中でその良さを実感しながら、適度に都心にも足を運ぶことで刺激を取り入れられる「ちょうどいい生活」がここにはある。そんな岡田さんにとって、一宮の海や風景というのは、生きる上で欠かせないものだ。
「車で5分程で海に行けるので、嫌なことがあったり、悶々とすることがあったりすると、海岸でしばらく考えてみたりしますね。あとは犬との散歩にもよく行くのですが、一宮川沿いを歩きながら見る夕日も、好きな景色です。人間は自然を壊したりしているのに、太陽は毎日変わらずに昇って沈むを繰り返して......そんな景色のなか、犬の姿を見て笑っていられるのは癒しの時間ですし、私が落ち着いていられるのも、そのお陰なのかなって思います」

コンタクトレンズケースからリユースカップを作る
そんな岡田さんは、一宮への移住と時を同じくして立ち上げた「シーサイドビジョン」の代表でもある。岡田眼科医院の経営・管理などをサポートしながら、起業とほぼ同時期に市場に出回りはじめた、使い捨てコンタクトレンズの販売を行っている。
当初は、会社を軌道に乗せ、経営を安定していくことにまい進していく日々。ところが、起業して10年程度が経った頃から、漠然と「このままで良いのか」と考えるようになったという。
「会社ですから、それまでは当然、利益を上げることを常に考えていました。でも、本当にそれだけでいいのかな、と。そんな時に偶然、九州の友人が『なんか、使い捨てコンタクトのケースがゴミになるのが気になるっちゃね』と言ったんです。その言葉が耳にずっと残って......」

喉にささった魚の小骨のように、ずっと彼女の心に残ったその言葉。「これを集めて何かできないか?」と気になり調べてみると、コンタクトレンズのケースはリサイクルマークが印字されていて、ペットボトルのキャップなどに使用されているポリプロピレンという素材であることはわかった。では、これを使っていったい何ができるのか。そんな時に助け舟となったのが、海外の大学で環境学を学び、環境省に関わる仕事に就いていた、彼女の娘さんであった。
「ある時、『リユースカップを作れないかな?』と話してくれたんですよ。当時から、それ自体は日本国内でもイベントなどで使われていて、そこでのゴミの削減に貢献しているという話は聞いていました。でもそれはリサイクル品ではなく、ピュアなポリプロピレンから作ったものでした。『これだ!』と思い、コンタクトのケースからリユースカップを作るプロジェクトをスタートさせることになったんです」
こうして、2013年にスタートした、CSR(Corporate Social Responsibility/企業の社会的責任)の観点にもマッチした新たな取り組み。「眼から地球を愛する」という意味を込めて、このプロジェクトは「EYE LOVE EARTH」(アイラブアース)と名付けた。プロジェクト始動においては一般社団法人タクトリサイクルを立ち上げたことに加え、アイコンとなる「タクトちゃん」も娘さんが描いたものがベースとなり、「(海外に戻った)娘の置き土産です」と岡田さんは笑う。

とはいえ、ゴミとなるコンタクトのケースを集めて、リユースカップを作るまでは、決して簡単ものではなかった。
レンズケース回収を始め、協力機関を増やしていく過程においては「こんなにたくさん、頭を下げたことはなかった」と言うほど、多くの人のところを訪れた。そして、レンズケースの洗浄、乾燥、粉砕、リペレット化という工程を経て製造した試作品を、高分子検査センターでの検査により、厚生省の食品衛生法の規格基準に適合しているかの認可を得ることも必要であった。この認可の申請に際しても、「約3週間かかったのですが、その間、何度も何度も玉前神社にお参りしました(笑)」と、その苦労を話している。
自らの足を動かし、神のご加護にも頼った結果、無事に認可は下りることになり、レンズケース回収に関しても、現在では県内の眼科医院や、一宮町役場や町内の店舗などに回収用ボックスを設置できることになった。リユースカップの製造については、特許も取得している。
「多くの人に協力していただき、今では毎月、50~60kgほどのレンズケースを回収できています。ケース1つは約1gなので、その数は何万個にもなります。この活動をいつまでできるかはわかりませんけど、最近は注目してくださる方も増えてきていますので、まだまだ続けていきたいと思っています」

"一宮テイスト"を忘れないでほしい
最初は泣くほど嫌だった一宮での時間も、気が付けば約30年の時が経った。その目で町の変化を見続けてきた岡田さんは、発展が進む中でも「一宮はこうであってほしい」という思いを常に胸に抱いている。
「私がここに移って来た頃、夏には一宮川をポンポン船が駅から海岸近くまで走り、海岸も広く、落ち着いた美しさがあったことをよく覚えています。そういうことを思い出すたびに感じるのが、開発のモデルとして海外のテイストを取り入れるのは良いことだと思いますが、その中にも、"一宮テイスト"を感じられる形になってほしいということ。一宮の良さは忘れずに、しっかりと残してほしいと思います」

一宮に生き、一宮を愛しているからこそ、この地に携わる人には慎重な決断を行ってほしい。町開発のプロジェクトを進める人たちはもちろん、この地に生きる人に思いが伝わってほしいと、岡田さんは願っている。
そのためには、近年注目されるSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発のために国連が定める国際目標)のような、この地球に住む全ての人の意識への働き掛けが必要であり、岡田さんの活動も、その助けになるのは間違いない。
「2013年に始めたレンズケース回収から約7年半、一生懸命やってきましたが、個人の力でできることの限界も知りました。願わくは、コンタクトレンズを製造しているメーカーに、企業が製造したレンズケースを使って、CSR活動としてリユース品を作ることを手掛けてほしいのが心からの願いですね。
レンズケース回収を始めると決め、それが企業のCSR活動として進めていけると娘からアドバイスされた時の感動は、今でも鮮明に思い出せるほど、これまでの道のりでたくさんの方に出会えたこと、気付かせていただいた事の全てに本当に感謝しています。
この地で60年間、町の開業医として地域医療に専念してきた岡田眼科医院は、『いつも地元の人達と共に居る』姿勢を持ち続けて、次の代につなげていきたいと思っています」
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